私はこれ迄に、3回海外渡航し、計4ヶ国を回りました。以下では、その 時の面白いエピソードをご紹介します。
「自己紹介」にもどるマレーシアは、日本ではメジャーではないティオマン島というところに行 きました。ティオマン島の対岸の港メルシンに着くと、オンボロのバンから、 少年労働者が現れ、「島の安い宿を扱っている店を知っている」と言うので、 案内して貰いました。正確には忘れましたが、ツインのロッジが一泊300円 ぐらいでした。 しかし、マラリアの恐怖と隣り合わせの破けた蚊帳と硬いベッ ド、それに「水洗便所」。確かに、「水洗便所」なのですが、おしりの穴も自 分の手で「水洗」しなければならないトイレでした。趣があって、臭いもあっ て、このなかなかの宿に5日間いました。前方は澄み切った海...があるかと 思いきや、沖に米海軍の艦艇がいくつも浮かんでいる、というすばらしい眺め でした。
もう一つ、メルシン港での話。ティオマン島へ向け、出向する船(と言っ ても、漁船ですが...)を待っている間、ヒジョウに暇だったのと、腹が減っ ていたこともあって、昼飯を食うことにしました。丁度、テーブルを囲んで現 地の人が食器を使わずに、右手で飯を食っていたので(イスラム世界だから)、 同じテーブルに同席して、注文をしようとしました。ところが座った途端に、 次から次へと料理が給仕されて来るではないですか。出された物を食う形式の 食堂だと思ってそのまま食っていたら、何とそこは結婚披露宴の会場だったの です。勘定ではなく、お祝い金を置いて行ったのは言うまでもありません。
最終日はシンガポール国際空港(チャンギ空港)に泊まりました。空港に は、ライフル銃を持った兵隊が巡回パトロールをしているので、ヒジョウに危 険かつ安全です。人種のるつぼと化したチェック・イン・ロビーの椅子は、全 て寝泊まり客で占められていました。安全、清潔、しかも空調も効いているの で、生じっかホテルに泊まるより、快適かつ経済的でした。
最初にもどる初めにタイの物価についてお話ししておきます。タイでの1日の生活費は、 ホテル代を除けば、300円ぐらいで済みます。ジモピーがたむろする食堂に 行けば、80円で十分腹一杯になります。金銭感覚が麻痺してしまいます。土 産に買ったTシャツは1枚90円でした。
結局、7泊8日のタイ旅行の費用は全部で
旅行会社に支払った分…98,000円
海外旅行保険料… 9,000円
旅行中に使った分… 35,000円
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合計 142,000円
でした。それで感じたことは、寮から成田迄のJRの運賃が800円×2だったから、
こんだけの金があったら、ジェットスキーに乗るとか、一流レストラン(一回
だけ行った)などに行かなくて、おとなしく海と戯れたり、誰もいない海岸で
人に迷惑をかけることなく野球をする(向うでペコペコボールを買って、流木
を拾ってやってた)などしてるだけなら、後2日は向うに居られたのに、とい
う物価感覚のギャップです。
#第1日目。
成田19:00発のタイ航空(エスニックな香り漂う奇麗なねぇちゃんばっかりだっ
た)に乗って、時差-2時間のバンコクに現地時間23:00(日本時間1:00)に到
着。第1日目と言っても、到着後暴利をむさぼる両替商に出会って、危うく引っ
かかりそうになったのを除けば、早々にホテルに着いて就寝。
バンコクのドン・ムアン国際空港もなかなか奇麗なところだったが、空港を出
たところに悪徳タクシードライバーがいて、「日本円をバーツに両替しますよ」
と割に滑らかな日本語で歩み寄ってきた。悪いレートで取り引きさせようとい
う魂胆だったが、たまたまその時私は日本円の現金を持っていなかったので、
引っかからなくて良かった。T/Cは彼らにとっては換金できない代物のようで、
「現金、現金」と盛んにわめいていた。
その後、ツアコンのバンでホテルに向かう。ここのホテルは中級程度のようだっ
た。
#第2日目。
自由行動だらけのツアーを選んだつもりが、ツアコンがしつこく付きまとうバ
ンコクとなった。ツアコン曰く「バンコクは危ないから、何かあったら会社に
何か言われる」。しかし、その言葉の裏に我々はようやく気づき始めていた。
ツアコン「先ず、ショッピングに行きましょう。バンコクはタイ・シルクにル
ビー、サファイアが安いね。」(彼は華僑)
我々「僕達はお金そんなに持って来てないね。」(何故か中国語なまり)
ツアコン「そんなこと言わないで、見るだけでいいから。」
我々「…」
ツアコン「じゃー先ず、宝石工場を見学しましょう。」
我々「ハァー。」
(我々専用バンは一路、宝石工場へ)
(一同、宝石のカッティングやリングに装飾を施すところを見学する。小学生
の気分。)
(だがしかし、宝石工場を通り過ぎると、そこはツアコン馴染みの(ツアー客
を紹介してヒンはねをする、とも言う)宝石店だった。)
我々「(口こもごもに)謀られた!」
ツアコン「見るだけでいいから(ニッコリ)。」
結局、ツアコンと店のオーナーのダッグで、我々4人の内2人が毒牙にかかっ
た。トウゼン、私は引っかからなかった。
ツアコンが店のオーナーに掛け合って、値切り交渉をする演技の冴えもさすが
だが、実際にモノが安い!日本の1/10の工賃で原石の加工ができるとあって、
非常に安い。原石の値段は大したことはないのだ。宝石店など日本では、ちょっ
と奇麗なおねえ様に声を掛けられて、魔が差して1度入ったことがあるだけの
私(その時も、そのネェチャンと口論になって、「やってられん」といって、
出て行ったのだが…)ではあるが、破格の値段であることは疑う余地がない。
結構品の良いTシャツでも、50バーツ=200円のお国柄である(と言うと、お土
産の値段が分かるが)。
その後、ツアコンのホンさんに連れられて、タイ陸軍のキャンプ
に行って、拳銃を撃たせて貰った。ホンさんはそうでなくてもヤクザ顔をして
いるのに、更に軍にも顔が効くとあって、それ以降我々一同のホンさんに対す
る態度がすっかり変わってしまったのは、言うまでもない。
バンに揺られて、タイ陸軍キャンプに赴いた一向は、面倒な手続きと身体検査
が待ち受けていることを予感していた。しかし、キャンプ入口の守衛所に到着
した我々は、何の減速も体験せぬままに、そのままキャンプ中の射撃場へと向
かったのだ。ホンさんがいれば、陸軍だろうが、海軍だろうが、空軍だろうが
我々は顔パスで入れてしまうのだ。その時のホンさんは、心なしか後光を差し
ていた。
射撃場へ着いた我々は、有無も言わさず38口径リボルバーを握らされ、「あ
の的に向かって撃て」と言わんばかりに、指導員の人差し指は的の中心を差し
ていた。
一発目を撃った。ちょっとした反動の後に、硝煙の匂いが心地良く鼻喉を撫で
ていった。「快感!」”セーラー服と機関銃”で薬師丸ひろ子が思わず口に漏
らしたその言葉が甦ってくる。
後はみんな狂ったように、的の中心に向かってただひたすら引金を引いた。リ
ボルバーがそれでは2、3周するのではないかという勢いで。弾はとうについ
えているにも関わらず…。
#第3日目。
結局、「バンコクで競馬をする」&「バンコクでムエタイ(タイ式キックボク
シング)を観る」計画は、ホンさん(例のツアコン。後で「ホン」というのが
実名でないことが発覚し、「アダ名です」と切り返していたが、怪しいことこ
の上ない人であった)に見事粉砕されてしまった(代わりに、タイの古典舞踊
を見ながらディナーをとった。これはまさしく「ディナー」と呼ぶに相応しい
ものだった)。
次の日、我々はプーケット島に向かった。バンコクから1時間半。寝ていて機
内食を食いそびれたのが遺憾だ。タイ迄来て朝5時起きをするとは思ってもみ
なかったからだ(日本ではチャンと毎朝5時に目覚めるのに)。一生の不覚だ。
機内食を食べなかった人は、千円バック、とかいう制度はないものだろうか?
向うに着くと、その日は一日中青い海そして白い砂浜と戯れていた。水平線の
向うに食えなかった機内食の幻影を見ながら…。
#第4日目。
プーケット島には5日いたのだが、現地のツアコンと遊んだのは1日半ぐらい
だった。前回までのバンコクでの苦い経験が我々をしてそうさせた。自由行動
のツアーなのに、結構ツアコンに縛られ、オマケにツアコンと特殊契約してい
る店に連れていかれ、金を巻き上げられるのは、いい加減嫌だったからだ。
しかし、4日目はオプショナルツアーと言う奴で、プーケット島の衛星島、コー
ラル島へ行った。メチャクチャ海が奇麗だった。熱帯魚がワンサカいた。我々
はそこで熱帯魚に餌をやったり、シュノーケリング(スキンダイビングではな
い。棒から空気を吸う奴。スキンダイビングは高い。1,200バーツ(約5,000円)
)をやったり、ジェットスキーをやったり、パラセーリング(私は友達が5分
ぐらいしか空に浮かんでいなかったのを見て、600バーツでそれでは割に合わ
ないと思ってやめた)をやったり、コーラル島のさらに衛星島に当たる無人島
迄、クルージングしたりした。熱帯魚は餌を持ってると、ワンサカ集まって来
て、指にまで食いついてくるし、慣れるまではホラー映画のワンシーンを実体
験しているようだった。
しかし、ジェットスキーは面白い。会社の先輩で4級
船舶免許をとって、自分で100万出して買う人の気持ちも分かった(a little)。
タイでは免許など不要で、天下御免の向う傷状態だった。警察もリゾート地の
田舎警察なので、ガキが足が地面に届かないオートバイを乗ろうが、車が逆走
しようが全く気に掛ける風ではなかった。無政府状態という奴だ。通りに面し
た、流れ弾が雨あられ、といった所で射撃場があったり、もうメチャクチャだっ
た。いずれにしろ、この日だけで満足いくマリンスポーツをやって、飯をたら
ふく食って、6,000円ぐらい使った。日本では1、2回の飲みであっという間
になくなる金である。
#第5日目。
空白の5日目...。
#第6日目。
この日は朝から晩まで自由行動だった。朝早く起きて、銀行に行って、トラベ
ラーズ・チェックを現金に替え(銀行のオッサンは不機嫌だった)、乗り合い
タクシーでその島唯一の街プーケット・タウンへ繰り出した(往復運賃100バー
ツ=400円)。
タウンから少し郊外に足を伸ばしたところに、水族館&昆虫博
物館がある。結構高かった(200バーツ)。官営の水族館は10バーツ(+交通費
往復80バーツ)だから、つくづくそっちにしておけばよかったと後悔しきりだっ
た。
その後タウンに戻り、街を探検することになった。観光客目当てのトゥク
トゥク(タイのオート三輪タクシー)のオヤジが我々をつけてきて、街角街角
で「また、お会いしましたね。どうです、街を案内しますが。」と再三再四声
をかけてきた。観光のオフシーズンなので、あちらも大変なのだろうが、いい
加減「偶然の出会い」が度重なると、こちらも切れそうになった。
そうこうし
て、観光客でな く土地の人が入る店に入って、物の値段を見ると、やっぱりバ
カな観光客相手の店よりずっと安いことが分かる。ただし、日本語も英語さえ
通じなくなるが。土地の人が入る飯屋(食堂というようないいものではないが、
衛生状態が危険なほどではなかった)で、20バーツで腹いっぱい食った。注文
をする時は、ほとんどジェスチャーゲームをやってるようだった。オバハンに
英語で話しかけても、日本語で話しかけても、全くの徒労だった。仕方がない
ので、食いたいものを指を差して入れて貰って食った。どうゆう値段のつけ方
をしているのかもう一つよく分からなかったが、4人とも見た目で分量が違っ
ているのに、値段はみんな同じだった。ドンブリ勘定もいいとこだった。
午後は市場に行った。うまそうなものがあったら買って帰ろうと思ったから
だ。しかし、ドリアンはホテルに持ち込めない。他の泊まり客の迷惑になるか
らだ。期待して行ったら、ゲテ物がいろいろ売っていた。その点に関しては期
待通りだった。カエル、豚足、昆虫、甲ガニなど、いろんなゲテ物が揃ってい
た。
取り敢えず、土産のTシャツはそこらで買った。1枚100バーツのTシャツ
を大阪人の性という奴で90バーツに勉強して貰って買った。しかし、後で2枚
100バーツの店を友達が見つけて、そこで買ってたのは、今から考えても頭に
来る。頭に来たついでに、帰りがけに寄った喫茶店で、パイナップルジュース
を頼んだら、支払う時メニューに書いてあったより5バーツ余分にぶんどられ
ていた。友達が一括して払ってたので、後でそいつに払う時に判明したのだ。
何故か私だけ5バーツ高かった。
旅行初日、成田でいきなり飛行機に乗り遅れそうになりました。という野 茂(わざとらしく)、出国審査に手間を取ったのです(別に前科者というわけ ではなく、単に窓口が混んでいただけ)。時間的には、完全に出発してしまっ ている時間だったのですが。パイロットさんありがとう!
また、トロントでも災難に遭いました。飛行機が78名ものオーバー・ブッ キングのため、飛行機の席が取れたのが、出発3分前でした。ヒヤヒヤもので した。
しかし、Banf国立公園で、待望の Bow Liver での Fly Fishing ができた ので、それ迄の苦労は何処かえ(最近の幼稚園では、「え」と教えているらし い、「へ」でなく)吹っ飛んでしまいました。雪が降る摂氏2度の厳寒の中、 つなぎを着ての川釣りでしたが、6匹も魚を釣りました。1匹は、その場で焚 き火で焼いて食べました。釣りたて、焼きたてで旨いの旨くないの。「全く、 味付けなし!」でしたが...。
帰国手続きで検疫を受けなかったのは、カナダ旅行が初めてでした。いつ も、「下痢はしてないか?」とか「変な病気もらってないか?」とかを申請書 に書くのですが、今回は用紙さえ貰いませんでした。
バンフでは一足早い冬を経験し、ナイヤガラでは滝のしぶきを浴び、ラフ ティングで野性のビーバーにめぐり逢い、公道脇ではエルク(平たく言えば、 カナダの鹿)と挨拶を交わし、公園では野リスや野アライグマと戯れる。全て が浄化され、そして私は一足早いサンタクロースになってしまいました(出来 心で、悪友達に土産を買ってしまった!)。まさに、ディケンズの小説「クリ スマス・キャロル」の主人公スクルージになった気分でした。
でも、日本に帰ってくりゃ、またゴウツクじじいになってしまって、12,500 円もすってしまったなぁ〜。浮き世を超越した仙人のような体験をした、束の 間の休暇でした。
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